何者かになりたいけど、なりたくないという話

Opinion

最近、昔の同級生に会ったりと色んな人の近況を聞く機会が多いです。

これを書いているのは11月30日。今年もあとわずかとなり、僕自身も1年前と比べてどう変わったんだろうと考えたりします。

そして、同級生をはじめ自分自身も、みんな「何者かになりたい」と、若さ全開でもがいているというのを再確認したわけです。


何者かになりたい

僕は今、都内のスタートアップ企業で働いています。

ちょうど半年ぐらい前、デザイン学校に通うブロガーの端くれだった学生が、ひょんな事からスタートアップで働くことになったのですが、それはそれはもう毎日が勉強の日々。

会社を大きくしたい、事業を成功させたいという気持ちと、このままの自分じゃ駄目だと理想と現実の間に挟まれっぱなしです。

そんな僕はデザイナーになるという夢で上京し、その後フリーランスとして自由に生きるという夢にチェンジしたり、半年前には日本一のメディア担当者になるという夢にチェンジしたりしてます。

ふと「自分って何になりたいんだろう」と考えると、一向に答えが出ません。

ただ今の仕事を通じて、資本主義のトップを走るような人達の存在を意識し、金銭的にも社会的にも認められたいという憧れも少なからずあるわけです。

それが「何者」かは、ずっと分かりませんでした。

何者かになりたいけど、なりたくない

そもそも何者ってなんだって話もありますが、僕は最近までこれが「職業」だと思っていました。

社会でもよく初対面の相手には「何している人ですか?」という質問をするじゃないですか。

これの答えが大体、職業なので、僕も漠然と何者=職業という考え方をしていました。

だから僕は日本一のメディア担当者という目標を立てたわけです。

そして、その半年前に立てた日本一のメディア担当者という目標ですが、仕事やソーシャルでの活動を頑張っていたら、それなりに社外からはメディアの人という認知をしてもらえるようになりました。

先日も、社外の人と初めてお会いする機会がありましたが、その方との話はメディアに関する話が中心。

別に日本一のメディア担当者になる夢を達成した訳ではないですが、僕自身が「メディア担当者」という型にはめられてしまっている感じがしてしまい、本来の自分が完全に消えた感じがしてしまったのです。

自分の目指す理想に近づけば近づくほど、自分の決めた理想に縛られる感覚が増していくのは、みんな共通なんでしょうかね。

久々にモヤモヤした出来事でした。

それ以来、周囲から何者かとして、認められたいとは思いますが、それは「職業」や「肩書き」でもなく、自分が必死に追うべきものでも無いんじゃないかと思うようになりました。

好きなように生きて、たどり着いた先が「何者」になるわけなんでしょうが、結局自分は自分にしかなれない。

自分の中で作り出したものと一致はしないんだろうなぁと。

新しい自分をみつけたい

ここまで長々と書きましたが、この結論が正解は分かりませんし、答えなんてないんだろうとも思っています。

しかし、好きに生きてたどり着いた先で後悔はしたくないので、もっともっとアクティブに生きたいなとも思いました。

どんな自分にたどり着くかを考えると、今の時点では大したことのない自分になりそうという不安もあるので、これからはもっと新しいことに挑戦して、今の自分が想像できない自分にたどり着きたいですね。

自分を発信するツールは揃ってるし、近い内に何らかの形で新しい自分をスタートさせようと思います。

久々に真面目な話を書いた、それでは!